戦う大砲と九条まだ続けるんですか???

全てを見通してると勘違いする時からオカルティズムは始まる。

映画などで見る砲撃シーンでドーンと撃ってシュルシュルと弾が飛びだしダーンと弾着しては土煙が上がる、陣地が破壊され兵士が吹き飛ぶというシーンをよく見かけるが、大砲もしくは砲撃の本質を良く理解していない悪い表現だ。「見てきたような嘘つき」の典型だろう。

近代兵器は味方にとっては出来るだけ人道的であろうとして作られる、その代わり敵にとっては極めて残虐非道である。白兵戦を主としていた中世の戦闘は「目の前で肉を断ち血しぶきを浴びる」味方にとっては信じ難い程の非人道的な戦闘だった。

どんなオプションをお付けしましょうか???

「政治や経済などをとおして国民と生活を守るのが安全保障であり、軍事だけに固執するのは印象操作による煽動です」、とお考えの方が少なからずいらっしゃる。WeとHisは全く独立した存在であり、時には敵と味方に分かれる時もある、それが世の習いだ。様々なオプションを通じて付き合うというのが生活の本質だ。

地球の管理人は宇宙人

「悪いことは、悪いことに、考え得る最悪の時におこる(最悪の出来事は最悪のタイミングでおこる)」=マーフィーの法則。独立国同士がお付き合いする時にありとあらゆる自由選択権を留保するのは主権者の責務だ。生命活動はその個体にとって取扱説明書のない戦いのようなものだ。旭山動物園には優れた飼育員がいて動物たちを守っている。我々は地球において宇宙人に飼育されているわけではない(そうだったらどんなに良いか!)。

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戦う意思を持ち続けるリアリストたち

大砲を撃つときには、作戦を過たないという条件において、砲兵に危険が及ぶことは少ない。「目の前で肉を断ち血しぶきを浴びる」心配も無い。前方に展開する観測兵ですら双眼鏡の中に見えるのは敵陣の土埃だけだ。一方の敵兵は砲撃の間中は頭を上げることが出来ず、見えるのは塹壕の縁のみだ。砲撃が終わって生き延びたと実感した敵の兵士は恐る恐る頭を上げる、狙撃兵の銃弾を受けたのかどうかは知らないが頭から血しぶきを浴びて塹壕の中に倒れている。その頃、砲兵は次の陣地移動のための後始末に追われている。砲兵にとって大切なのは砲を制御するための数字であり、決められた地図上の符号だ。

戦いにおいて敵と味方を同時に見つめる眼は存在しない。末端の兵士にとって見える範囲は数メートル先の目の前出来事で、時には地面だけしか見えず他は何も見えていないのかも知れない。それでも戦う意思を持ち続ける兵士はリアリストでなければ生き抜くことは出来ない。

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